最高裁による独裁のカラクリ! その3 誰が見ても無罪のはずが、有罪になってしまう理由

行政訴訟が日本では非常に少なく勝訴率は10%


  行政訴訟の数は、ドイツでは50万件あるのに対し、日本ではたった1800件で、ドイツの500分の1の数しかありません。 

 アメリカでは、訴えを起こすと、相手は手持ち証拠を全部開示しなければならない、というルールがあります。日本ではそのような法律はありませんから、行政訴訟を起こしてもこちら側に有利な証拠がなく、ほとんど負けてしまいます。それが行政訴訟を起こす人自体少ないことの理由です。

  ドイツでは、公務員はメモの義務というのがあり、応対した市民との会話等を全部きめ細かに書くことになっています。そのメモを訴訟が起こされたらすぐ提出する義務があります。日本ではそういうことはありません。

  ドイツではノートの切れ端に、この公務員はこういう違法行為をしている、この行政行為はこういう違法であるという走り書きのメ モを裁判所に送り届けると、それが訴えとみなされますが、日本ではよほどきちんと書いた訴状でも「あなたには原告適格がありません、あるいは訴えの利益がありません」などの理由で、 約20%は門前払いで、はねられてしまうのです。

  最終的に勝つのは、市民の約10%。そんな状態だから、もう誰も行政訴訟を起こさなくなってしまいます。そのために、主権者としての権利の行使が非常に弱くなっています。

  民事裁判でも、日本は裁判が少ないのが世界的に有名で、裁判官の数でもヨーロッパの10分の1。その上、最高裁の統制を受けていますから、どういう結論になるかは目に見えています。

  民事事件というのは公的な法的サービスであるべきなのに、事件処理に時間をかけたくない、煩わしいから判決文を書きたくない、というご都合主義の裁判官により、訴訟当事者の意向に添わない、無理な和解を強制されることが非常に多くなっています。民事裁判が日本ではとても少ない点を、外国の研究者が日本の大学の雑誌に書いていますが、日本の学者はそういうことは書かない。我々は遅れた社会に住まわされているのです。 


誰がみても無罪のはずが、有罪になってしまう!? 


 このように裁判官が統制されてしまっているので、本来、誰が見ても無罪のはず、こんな無罪が何でわからないのかという事件でも、裁判官はそれを重々わかった上で、最高裁の統制を受けて、「これは有罪にしないと自分の地位が危ない」ということでやっているので、無罪になることはまず考えられないという、市民感覚では到底理解しがたい現実があります。 

 逆に、無罪にしなかった場合に、自分の地位が危ない場合は無罪になる。(鈴木宗男の事件と、厚労省の村木厚子元局長の事件との違いです。鈴木氏の場合は世間の評価が悪いので、鈴木氏に賄賂を送ったという人の調書を証拠として、鈴木氏を有罪にする。村木氏の場合は、「村木さんが正しい」という世論のほうが強いということで、これを有罪にしていては、逆に自分の地位が危うくなるという読みで、無罪にしてしまっている。裁判官の出世という個人的都合で有罪か無罪かが決まってしまうというのが日本の裁判です。だから、組合の弾圧事件などでも、これを有罪にしたら、有罪にした裁判官の地位が危ないんだというぐらいの世論の盛上りがないかぎりは、無罪になりません。

  担当弁護士の能力とかそんな問題ではなく、日本の社会には、近代社会の三権分立はありません。私たちは非常に遅れた社会で生活している。大変なところに住まわされているんだということなのです。 


付記: 生田輝雄弁護士は、「最高裁が人事の基準を公開していないのは裁判官の独立を侵害しており違憲である」として、公開を求めていらっしゃいますが、最高裁は一切公開していません。


参考サイト:change.orgキャンペーン ↓